19世紀終わり頃のお品になります。
アプトの中でも珍しく、また試行錯誤を重ねていた最後のほうのお品です。
2枚の内のAの方をご紹介いたします。
Bは最後の方にアドレス載せておきますので、お写真はそちらからご覧くださいませ。
ではAの方です。
ボタニカル柄レリーフのバルボティーヌ。
釉薬の表面が擦れて剥げている部分がありますが。
基本的には、アプトのお皿としては大変良い状態と言っても良いのではないでしょうか。
表面の様子。
デザート皿ですので、肉切りナイフなどを使われることはまずなかったでしょうからカトラリーのキズはほとんど見当たりませんでした。
釉の剥がれているところのアップ。
下地はやはり南仏の土の色なんですよね。
釉薬の剥がれもアクセントとして楽しんでくださいませ。
貫入。
よ~く見ると貫入が入っているのが分かります。
裏。
製造時のキズ。
こちらも製造時のキズ。
アプトのドラクロワ
アプト窯のドラクロワ家ほぼ最後のお方です。
横から見ると少し歪みが。
かわいいです♪
と釉薬が剥がれている部分が少し。
フチのキズの様子です。
こちらもキズの様子です。
釉薬のたまった窪みのあたりの色は濃い目になっています。
ヒビもカケもなく、良い状態のお品になります。
そうそう、この植物の柄ですが、これは昼顔なんですよ♪
アプトの美術館に同じものが展示してあります。
そこで購入したガイド本をちらりと。
ギャルリーで扱っている方がお色がきれいだったりして。笑
もう一度
全体のお写真を。
どこかクレイユモントローの葉脈レリーフのお皿を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方は良くご存じなお方です♪笑
クレイユモントローはウェッジウッドの影響で葉脈のレリーフ柄バルボティーヌのお皿を作っていました。それが19世紀初期。
バルボティーヌで有名になった窯は、私の知っているところだとショワジー、サルグミンヌやオネン窯などのフランス北部の窯があります。
汽車などの交通機関が発達してきた19世紀後半、南仏の人たちもかわいいサルグミンヌや気品ある白い食器のクレイユモントローなどに移っていってしまったようです。
そこでそれまで田舎風なラフな作りの陶器が売りだった(売りだったのか、そういう作りしかできなかったからか)アプトの窯でもパリやロレーヌ地方で作られている食器の真似を始めたのです。
ですが、この南仏の土地の材料を使って洗練されたものを作るというのは、とても難しかったようでドラクロワさんはアプトの市長に手紙を書いていました。
「パリの洗練された技術がうちにはなく、どうしても製造方法が開発できない」と、「どうか技術を教えてほしい」と、昔の栄光も嘘のような、恥を忍んでのこの言葉、アプトの美術館で涙が出そうになりました。
南仏の土ではそれが実現できず、どこか質の悪いものと思われがちになってしまったようです。
カオリンを仕入れるにも同じフランスにいても大変な時代だったのでしょうね。
というか、そこまでしたかったのかは謎ですが。
1908-1909年に破産宣告をして、1915年にドラクロワ家の窯も倒産となってしまいました。
そんなまま終わってしまったなんて。
悲しい。。。
南仏伝統のアプト窯、最後の方のお品で貴重なお品です。。。
右上がA左下がBになります。
☆☆☆☆☆
MERCI ♡
完売いたしました♪
オーナー☆イデコ