18世紀ヨーロッパのアンティーク食器について

フランスでの陶器製の食器の生産は、ほかのヨーロッパの国に比べて大変遅れています。
(ここでは触れませんが、イタリアやスペイン(イスラムの影響のあるアンダルシア)、オランダなど)

白釉やクリーム色の陶器は、18世紀の初めには普通に陶器製の食器を生産していたイギリスを模範することから始まりました。
実際にはイギリス人の職人がフランスに渡ってきて、イギリス風陶器の生産が始まったという事なんです。
意外にも黒尻のキュノワのフォルジュレゾー窯までもが、始まりはイギリス人陶芸家による食器づくりが始まりだったようです。

 イギリス18世紀。
刻印はなく、スタッフォードシェアのいずれかの窯かリーズ窯によるものと思われます。

 パニエのスタイルもフランスの19世紀のお皿にも見られますね。
こちらのパニエプレートはやはりイギリス18世紀、刻印はなくリーズ窯だと思いますが。。。

 こちらのお皿はやはり18世紀のイギリス、と、思っていましたが、裏に薄らWOODらしき刻印。
18世紀にフォルジュレゾーにやってきて陶芸指導をしたイギリス人陶芸家ジョルジュ・ウッドの刻印ではないかと想像します。
ウェッジウッドならば、刻印がきちんとしているのであまり不明な年代が存在しないからです。
またフランスの北の窯だと販売者から聞いております。

この頃の陶器の生地の質は悪く、このようにブツブツも見られることも多々あります。

そもそもフランス人が陶器製の食器を使用するようになった経緯は、銀製やピューター製の食器の使用を禁止されてから、結局は切羽詰まって陶器製に入れ替えたという事だったようです。

なぜ禁止されたかというと、当時の戦争好きのルイ14世(太陽王と呼ばれている陰で、人生のうち33年も戦争に関わっていた王様なんて意外ですね。)の命令で、戦争に負け続けていた王は、武器などに使うための金属類が必要な為にそれまで銀食器やピューター製の食器を使っていた人たちの食器類を没収し、生産も禁じました。
銀食器やピューターの食器を使っていた人たちといっても、当時の平民はそんなもの使えるわけがありませんから、いったいどれだけの量の金属を貴族や王族たちだけで使っていたのか、という事になりますね。
相当な贅を尽くした浪費家だったのでしょう。

でも、そのおかげでフランスでも陶器の生産が始まったわけです。
初めは銀食器と同じ形のもの、オーバル型や花形(ギザギザ)の縁、複雑な作りの銀食器なども陶器で再現されていました。


 上の二つは、ポントシューもしくはサンクレモンのレリーフ皿。
(サンクレモンの場合は、この時代にしては珍しく刻印があるようなので、ポントシューの可能性が強いかと思います。でもそれ以外にもフランスの北~パリあたりでは、このようなお花をモチーフにしたレリーフの食器を作っていた窯はたくさんあったのです。いずれもマニュファクチュールと呼ばれている王室御用達の窯ばかりです。)

銀食器がもとになった花形リムタイプの美しいお皿。

18世紀のお皿は、裏を見れば良くわかります。
現在の食器に見られる”脚”がありません。
ま~るく、ぽってりとかわいい裏側です。


フランスよりも先に発展していたイギリスのウェッジウッドやスタッフォードシェアの陶器のマネをして、またイギリスからの職人を呼んで、陶器作りをしていました。
パリの窯ポントシューをはじめ、1740-1750年頃の陶器には砂のようなものを混ぜて制作していたので、黒点のようなものがみられたり、ブツブツ感があったりするものも多いのです。


その方が強化的に優れていると思ったのでしょうか。
それはイギリスの窯でもしていた事でした。
イギリス王室用に作られていたクィーンズウェア、またはクリーム色をしている事からクリームウェアと呼ばれるようになった食器の多くがフランス製陶器の模範の対象となりました。
ブツブツや黒点を18世紀の陶器の特徴と分かって気に入っていただける方には、本当に陶器製の宝石と呼んでも間違いはない程に美しい食器です。

その後テール・ド・ピープというタバコを吸うためのパイプ用によく使われた粘土が陶器作りに向いているという事で、フランスの陶器の質も向上され滑らかなものになっていきます。
シャンティイ、クレイユ、モントロー、ショワジールロワなどがこの陶器用粘土を使っています。

 上の写真のオクトゴナルは、シャンティイ窯。
クレイユの前進に当たる窯です。
イギリスのクリームウェアに似せた色で少しクリームイエローなんですよ。

 シャンティイの刻印。
裏の地をならしすためのサークル上のラインと混ざっていますが。
1800年頃~1820年頃までイギリスもフランスもこのように真っ直ぐの刻印が見られる窯があります。

上の写真のお皿の窯は判明しておりません。
イギリスの窯で作られていたものもしくはフランスの北のものだと思います。
19世紀にはクレイユやクレイユの前のシャンティイ窯でもこの形の縁がグリーン(だったり青だったり)のお皿が作られています。
クレイユの場合はきちんと刻印があるので分かりやすいですね。

何が貴重なのかというと、当時の陶器の使用は王族や貴族、ブルジョワに限られていた事。
マニュファクチュールと呼ばれるフランス王国に認証された国営の工場のもので価値がある。
そして製作方法は常に改善され、同じ作り方の陶器は現在に存在しない事。
陶器製食器の発展の元となった貴重な資料でもあるのです。


フランス人の業者でもイギリスのクリームウェアの事をポントシューや果てにはクレイユモントローと混同してしまっている方がいらっしゃるところが少し残念なところではあります。
どこの窯か分からないと、そのように言ってしまうこともあるようですね。
なぜならば売れるから、かもしれません。
私もなるべく気を付けなければならないのですが、18世紀の食器を紹介させていただくときは窯が不明という表現もしばしばさせていただくかと思います。
18世紀のフランス製のほとんどの食器には刻印がないので、陶器の作りといくつかの資料で判断するしかありません。。。

18世紀の食器については、また少しづつ追記していけたらと思っています。
ここではまだまだ書ききれません。。。



※ この文章をそのまま引用する事は禁止されています。
私も間違えたことを書いている可能性もあり、特に同業者様にはご自身でも調べてみていただければいいなと言う想いです。
もし少しだけでも引用されたい方は、遠慮なくご連絡ください。
ご説明させていただきたいことがあります。


※ ヨーロッパアンティーク食器は実用には向きません。

陶器製の食器が使われ始めたばかりの特に18世紀のものは、強度に欠けます。
温度差にも弱く、液体の多いお料理は染みやすいです。

また絵付けに使われていた顔料や、表面にかけられている釉薬には現代の基準以上の有害物質が含まれており、日常使いなどすれば、水に溶け出して体内に入る危険があるからです。
ただし、数回使っただけで健康に害が出ることはまずないと思います。
毎日使っていたら体調が悪くなることも出てくるのだと思います。
ですので、観賞用として、コレクションとしてお使いいただければと思います。
また、たまに使う程度は個人的には全然問題ないと思ってはおります。